生麦事件は、幕末の文久2年8月21日、現在の横浜市鶴見区生麦付近で起こりました。
公武合体のため、江戸で尽力していた薩摩藩主の父・島津久光は、一区切りついた後、 400人もの武士を携えた大行列で京都へ向かいました。
行列が生麦村にかかった時、川崎大師を見物に行く途中の騎乗したイギリス人4人が近づきました。
先頭の方にいた薩摩藩士たちは、彼らに対し身振り手振りで道を譲るように説明しましたが、 イギリス人達は道幅いっぱいに広がる行列に巻き込まれながら、乗馬のまま行列の前を横切りました。
島津久光を警護する侍は極めて無礼な行為だとして、抜刀して斬りかかりました。
イギリス人4人のうち1人が死亡、2人がけがをし、1人の女性は帽子と髪の一部を切られました。
イギリスに対し江戸幕府は謝罪と賠償金を支払いますが、 薩摩藩は犯人の引き渡しを拒否し、翌年には薩英戦争が勃発します。
イギリスの勝利で終わりましたが、奮闘した薩摩藩とイギリスが接近する契機となり、 倒幕へ向けての流れが加速することになりました。
取材場所詳細
場 所:生麦事件碑
住 所:横浜市鶴見区生麦1-16 ★ 地図