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第5回 アイスクリーム発祥の地を記念して建てられた「太陽の母子像」

    太陽の母子像

    町田房造(房蔵)は、馬車道通りの常盤町5丁目で氷水店を開業していました。
    アメリカで酪農やアイスクリーム製造技術を学び明治元年に帰国した出島松蔵に指導を受け、1869年(明治2年)7月、自店で日本で最初のアイスクリームを「あいすくりん」の名前で売り出しました。
    しかし、1人前の値段はスプーン3~4杯で2分(現在の8000円相当)と高価だったことや、日本人には馴染みがなかったことから、外国人が買う程度で、売れずにすぐに店じまいをすることもあったそうです。
    翌年5月、伊勢山皇太神宮の大祭で販売したところ、当日の好天候にも恵まれて、冷たい「あいすくりん」に人々が集まり、大変繁盛しました。
    これがきっかけとなり、東京・銀座などに同業者が増え始めてアイスクリームが広まっていきました。

    1976年日本アイスクリーム協会より、アイスクリーム発祥の地を記念して、馬車道の常盤町にさまざまなテーマで母子像を制作した本郷新の「太陽の母子像」が寄贈されました。
    日本アイスクリーム協会が「アイスクリームの日」と定めた5月9日前後には、馬車道商店街ではアイスクリームに関連したさまざまなイベントが行われています。

    取材場所詳細
    場所:太陽の母子像
    住所:横浜市中区太田町・馬車道 ★地図