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第67回 保土ヶ谷宿本(軽部家)跡

    保土ヶ谷宿本陣(軽部家)跡

    保土ヶ谷区は江戸時代、東海道五十三次の宿場町として、多くの人々が往来し
    ていました。
    本陣とは、旅中の公家・大名や武将など身分の高い者が宿泊できる施設をいいます。
    旅館とは違い、問屋や名主などその地域の有力者の家が使われたので、
    一般の旅人は宿泊できませんでした。
    保土ヶ谷宿本陣は、小田原北条氏の家臣、苅部豊前守康則の子孫である苅部家が代々務めました。

    保土ヶ谷宿本陣(軽部家)跡

    また、大名や役人などの宿泊が重なって、本陣だけでは泊りきれなくなった場合に予備に当てた宿舎を脇本陣といいます。
    保土ヶ谷宿には藤屋、水屋、大金子屋の3軒の脇本陣がありました。

    苅部家11代目の1870(明治3)年に本陣という制度は廃止となり、軽部姓に改めましたが、現在も門や土蔵など当時の佇まいを残しつつ、実際に居住されています。

    取材場所詳細
    場   所:保土ヶ谷宿本陣(軽部家)跡
    住   所:横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷1-68 ★ 地図