●吉田橋
馬車道の南端から関内駅を通過して伊勢佐木方面に抜ると、高速道路をまたいで吉田橋があります。
吉田橋の誕生の歴史は江戸時代まで遡ります。
横浜開港期の開港場と外部とは堀川で隔てられていたため、吉田橋が架けられて開港場と外部とを繋いでいました。当初は木製で、埋立地である吉田新田から架かっていたことが名前の由来と言われます。
山手本通りを抜けて打越方面に進んでいく吉田橋には関門が設けられ、外国人や武士、一般市民などの接触を制限していました。関門の内側の馬車道側を「関内」、外側を「関外」と呼んでいました。
近代化によって交通量も増えてきたため、1869年(明治2年)イギリス人技師、ブラントンによって日本初の鉄製トラス橋として架け替えられました。
イギリスから取り寄せた鉄材等を 使用した鉄製の橋は珍しく、「カネの橋」と呼ばれて横浜の新名所になりました。
しかし「カネの橋」と呼ばれた もう1つ理由は、吉田橋を渡る時 に通行料が必要だったからとも言われています。 関門は1871年(明治4年)に廃止され、「カネの橋」は1911年(明治44年)、さらに頑 強な鉄筋コンクリートに作り変え られました。その後、改築や撤去を経て現在の橋は5代目となりました。
当初とはまっ たく異なる景観ですが、 吉田橋の欄干は「カネの橋」時代の吉田橋のものを復元したデザインになっていま す。
歩道脇にある「吉田橋関門跡」 の記念碑は1993年(平成5年)に横浜市地域史跡に指定されました。
取材場所詳細
場所:吉田橋
住所:横浜市中区末広町1丁目 ★地図